数々の実績に裏付けられた占術は必見!
極上の鑑定を体験してください
占い編集部の間で「京都にスゴイ子が
いる!」とたちまち話題に……。
プロとなった後は複数誌※3を
掛け持つ売れっ子となりました。
オーストラリア占星術連盟国際会議
登壇は、なんと日本人初!
その他にもたくさんの肩書きを持ち、
実績を残し続けています。
著書の総数はなんと数百冊!※5
学術的評価の高い本の翻訳を通じ、
国内の文化発展にも貢献しています。
「占い師が選ぶ“この人はスゴイ!”」の
ランキングでは堂々の第1位を獲得!
鏡リュウジとは“占術研究家”であり、
多くの占い師が憧れる存在なのです。
“占術研究家”としてだけでなく“占い監修者”としても引く手数多な鏡リュウジ。
超有名コンテンツとのコラボレーションをいくつも実現してきました。
占いのみにとどまらない幅広い活躍は
キャリア35周年を経てさらなる高みへ……。
独自のスタンスを貫き、“唯一無二”の
歴史を歩み続けていきます。
みなさん、こんにちは。占星術研究家の鏡リュウジです。いつも僕のメッセージをみていてくださってありがとうございます。
僕にとって、このところは大切な節目になっています。
年齢でいえば昨年、僕はなんと50歳に。そしてメディアデビュー35周年になります。
僕が雑誌でデビューしたのは1984年のこと。たしか高校1年生のときだったと思います。(そのときはまた別のペンネームだったのですが)幼いころから占星術やタロットに夢中だった僕は、編集の方に見出されて”天才高校生占い師”なんて、今から思うと赤面もののキャッチフレーズとともに小さなコラムを書かせていただくようになったのです。今から思うと信じられないかもしれませんが、インターネットはおろか、まだワープロもなく原稿用紙で手書きで原稿を書いていた時代です。京都に住んでいた僕は、毎月、郵送で原稿を東京の編集部に送っていました。
それから東京の大学に入って本格的に執筆を開始。英国にも頻繁に通うようになり、当時は、いや、今でも日本では普及していない本場の占星術を紹介することに努めてきました。楽しい占星術企画を雑誌で展開する一方、シリアスで学問的なアプローチの方向も微力ながら押さえてきたつもりです。諸先輩方の御恩を受けながら、少しは日本の占星術やタロットの世界にも貢献できたかな、なんて思いもありますが、まだまだこれからが正念場。
占いの世界はエンターテイメントでもありますが、同時にその背景には文化的な広がりや深みもあります。一時の流行にだけ終わるのではなく、また目先の利益だけを追うのでもなく、気持ちを豊かにしてくれる存在としての占星術や占いをみなさんとともに育み、楽しみ、味わっていきたいと思っています。なにしろ、デビュー当時の僕には考えもしなかった情報時代。たくさんのチャンネルとツールが目の前に開かれているのですから!
これからもぜひぜひ、みなさんの応援をお願いいたします。サイトの占いもますますパワーアップさせていきますよ!