陰陽五行説を元に生み出された、人の命運を推察する方法です。西暦1100年頃、南宋の徐子平が記した書物が最古の文献と言われています。日本には、江戸時代中期に入ってきました。
四柱推命では、「年」「月」「日」「時」、それぞれの十干・十二支を四つの柱に見立てるため、この名で呼ばれるようになりました。
四柱推命は、生年月日を年・月・日・時の四つの柱に分類し鑑定する手法です。
◆生まれた年…年柱
◆生まれた月…月柱
◆生まれた日…日柱
◆生まれた時刻…時柱
十干(じっかん)は甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)のこと。
十二支(じゅうにし)は子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)のこと。
日本で干支(えと)と言うと、年の十二支を指すこと一般的ですが、本来は十干と十二支の組み合わせを干支(「かんし」または「えと」)と言います。
干支の組み合わせは以下六十種です。年・月・日・時それぞれに存在します。
干支は正順で循環しますので、年の干支であれば「甲子」の翌年は「乙丑」となり、60年で「癸亥」まで進んだ後、「甲子」に戻ります。60歳を「還暦」として祝うのは、この干支が一周して戻ることからきています。
干支を表現する際には「戊-辰(つちのえ-たつ)」のように、十二支の前に十干を書きます。このことから十干を天干(てんかん)、十二支を地支(ちし)と言います。天干地支は年柱、月柱、日柱、時柱それぞれに存在しており、日の天干であれば「日干」、年の地支であれば「年支」のように表現します。
「年」「月」「日」「時」それぞれの十干・十二支を元に作られた表のことを指します。
年・月・日・時それぞれの十干を指す。
甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸になる。
年・月・日・時それぞれの十二支を指す。
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥になる。
日干の五行と月の季節の五行の関係から割り出す。
日干の強弱を見る一つの方法です。
日干に対し、他の干が持つ意味を表す。
比肩・劫財・食神・傷官・偏財・正財・偏官・正官・偏印・印綬の十個の星からなる。
五行思想は「森羅万象は木、火、土、金、水の五つの元素からなり、五つの要素は互いに影響し、変化し、そして循環している」という説です。四柱推命は五行思想の流れをくんでおり、十干・十二支それぞれに五行が割り当てられています。
五行を表現する際は、木を頂点にし、木から時計回りに木→火→土→金→水の五角形を描くとわかりやすくなります。時計回りに矢印を結ぶと、「木は火を生じ」「火は土を生じ」「土は金を生じ」「金は水を生じ」「水は木を生じ」という関係になります。この関係を「相生(そうしょう)」と言い、相手を生み出す陽の関係となります。
また、木から土に矢印を結びそこから星形になるように矢印を結ぶ関係を「剋(こく)する(気を弱める)」関係と言います。「木は土を剋し」「土は水を剋し」「水は火を剋し」「火は金を剋し」「金は木を剋し」ます。この関係を「相剋(そうこく)」と言い、相手の気を弱める陰の関係となります。
日干から見たときに、他の天干とどのような関係なのかを表したものです。通変は比肩・劫財・食神・傷官・偏財・正財・偏官・正官・偏印・印綬の十種類で、この十種の星の総称を「通変星」と言います。通変星の意味は以下の通りです。
四柱推命は非常に複雑な占術です。単独で使われることは少ないですが、占う内容によって、以下のような占術 も使われます。
各柱の十二支と、生年月日の直前の節入り日から生年月日までの日数から割り出される十干のことを指します。
四柱推命においては、十干が十二支の上を運行するよう配置されていますが、十二支が表す季節によって十干の 強さが変化することを考慮して占う方法です。
「長生・沐浴・冠帯・建禄・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養」で表されます。
六親は六種の親族、「父・母・兄・弟・妻・子」、または親族全体を指す言葉です。家族の状態や自分との相性などを見るのに用います。